はじめてのホツマツタヱ「人(や)の巻」

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はじめてのホツマツタヱ「人(や)の巻」

タケヒト天君称制

カンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)のスヘラギは御祖天君(ミオヤアマギミ)ウガヤフキアワセズの第4御子として、正后玉依姫からお生まれになりました。斎名をタケヒトともうします。異母兄の長男ヰツセは多賀親王(タガオキミ)です。

ウガヤフキアワセズは、天君としての所持品をタケヒトに授けて、崩御されました。

15歳で次期天君に指名されたタケヒトは、あまりにも若く経験不足だったので、即位を先に伸ばす、称制の方を採られました。称制期間中タケヒトはスヘラギ(天皇)と言われていました。

タケヒトが政権を担えるようになるまでの間国政はヰセツと第六代大物主クシミカタマが預かることになり、タケヒトは宮崎宮を本拠として、父帝ウガヤフキアワセズの意志をついで筑紫の開発に専念されたのでした。

香久山政権でのナガスネヒコ専横

飛鳥親王(アスカヲキミ)の伝統を受け継ぐ香久山政権では、大物臣のナガスネヒコが実権を握って専横をほしいままにし、民衆の不満が高まって騒乱状態に陥っていました。

巷のタケヒト待望論

筑紫にいても、私が日本国の統率者であることを認め、国中の人々が、ホツマ路を均して、昔のように天の権威を全国に広めよ、と期待し催促しているのです。

生駒超え

アスス55年2月に早浪の立つミツ峰に到着。浪速の港から大和川を遡り、河内日下のアウエモロの館に入って軍備を整えた。

戦闘開始

ニギハヤヒ側ではナガスネヒコが軍備を整え、迎え撃つ準備は出来上がっていました。

タケヒトの軍勢が生駒超えをして大和の地へ足を踏み入れたと見るや、クサエ坂で戦闘の火蓋を切りました。

この戦闘で、ヰツセは肘を射られて重傷を負い、前進することが出来ない事態になってしまいました

タケヒトの軍は船で南に向かいました。

タケヒトと御子のタギシミミはアラサカ(熊野市仁木島)にじょうりくしました。

夢あわせ

峠を1つ超えると奈良盆地で、香具山親王ニギハヤギの懐に飛び込むような心地がします。

敵の警戒も怠りなく、タカクラ山の麓には、エシギの軍勢が峠の切り通しを固めて、通行人を監視しています。


御購入は → はじめてのホツマツタヱ 天(あ)の巻

       はじめてのホツマツタヱ 地(わ)の巻

       はじめてのホツマツタヱ 人(や)の巻


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目次

はじめてのホツマツタヱ「人(や)の巻」は、神武東征から始まります


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はじめてのホツマツタヱ 人(や)の巻


かぐや姫伝説

ホツマツタヱにだけしか伝わっていない伝承が2つあります。

1)かぐや姫には姉がいて、垂仁天皇の正后であり、ヤマト姫を生んだ後産後の肥立ちが悪く崩御され、その死を悼んだ天皇が「月の神」と言う称名を賜った事。

2)カバヰツキ姫を皇后にその妹のカクヤ姫をウチメに入内したのは、垂仁7年7月初日でしたが、5日に及ぶ宴を崔し、7日には初の七夕の神祀りが行われました。
(7月7日の七夕は、カクヤ姫の嫁入りのまつりだったんですね)


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ホツマツタヱとは

ホツマツタヱとは、日本の神話時代がわかるホツマ文字で書かれた歴史書

こんな素晴らしい書物が
かつて日本にあっただろうか
こんな素晴らしい書物が
かつて世界にあっただろうか

日本人の魂を
こんなにまで歌い上げた書物が
かつてこの世にあっただろうか

こんなにまで心を清める書物が
日本にこれまで
あっただろうか

五・七のリズムは
天の節
日本人の心を
おのずと歌いあげる一万行

これはホツマツタヱを発見した松本善之助さんの「(続)ホツマツタエ」の出だしです。
ホツマツタヱと言う神話の書物は、昭和41年に松本善之助さんによって発見されました。

ホツマツタエは、ホツマ文字という古代文字で書かれた書物なので、普通の人は原文では読めません。私も読めません。
だから、現代文に直した解説本が必要です。

    ↓ ↓ ↓

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目次:詳細

神様系図
  • イサナギ・イサナミの系譜
  • オオナムチの系譜
  • ニニキネの系譜
  • 神武天皇から開化天皇まで
  • 開化天皇から景行天皇まで
  • 天神~天皇系統図

神様一覧

ホツマツタヱ御機29:タケヒト大和討ちのアヤ
  • タケヒト天君や称制(しょうせい)~天君のニお タケヒトに
  • 香久山政権でナガツネヒコ専横~ナガスネが 侭(まま)にふるえば 騒がしく
  • 巷のタケヒト待望論~遠近も 潤ふ国の 君ありて
  • タケヒト決起~諸ミコも げに「いやちこ」と
  • 宇佐での出来事~「導くか」 「あひ」と応えて
  • 生駒越え~速波立つる ミツ岬 名も「浪速」の 港より
  • 戦闘開始、ヰツセ御子薨去(こうきょ)~我は日のまご 日に向かふ 天に逆えば
  • 二人の兄御子も薨去(こうきょ)~天の神 母海神や 如何せん
  • タカクラシタ~「行かずとも 国平けツルギ 下さん」と
  • ヤタノカラス~覚(さ)むれはヤタノ カラスあり 老翁(おおち)が穿(うが)つ
  • ヱウガシとオトウガシ~「御饗(みあえ)して 謀(はか)るクルリお 知ろし召せ」
  • 夢合わせ~「神お祀れよ 香久山の 埴のヒラデに ヒモロゲ」と
  • 香久山の埴~「ゆめゆめと 謹み採れ」と みことのり
  • 撃ちてしやまん~しばし考ふ ニギハヤフ サスラヲよすと 雄叫びて
  • ナガスネヒコ軍との総力戦~説き諭し 教えても来ぬ 後討つも 
  • ニギハヤヒ君の帰順~わがナガスネが 生まれつき 天地分かぬ 頑なお
  • 橿原へ遷都~のほるタネコと モノヌシに 「都遷さん 国見よ」と
  • タタライスス姫~神依りの名も カンヤマト イワレヒコの 天君と
ホツマツタヱ御機30:天君都鳥のアヤ
  • 天君の伝統~賜ふ名は 別雷の 天君と
  • 三種神宝の所在~左カスガと 右コモリ 授けて代々に これお継ぐ
  • ヤマト撃ちまでの経過~クシミカタマは オシクモと ナガスネ討てば
  • 神武即位に向けて~七草みそも トンドホも 神在粥も 行われ
  • シラヤマのヲシテからミヤコ鳥の歌~日の臣謡ふ ミヤコ鳥 三重降りて聴く
  • 即位と大嘗祭~トミ百司 ことほぎし ヨロトシ歌ふ
  • 論功行賞~思えは忠は ウマシマチ 代々モノへ継げ
  • 直り物主、直り中臣~直りの祓ひ 行えは 疫病も直り

コラム:『タケヒト神武天皇とニギハヤヒ』

ホツマツタヱ御機31:直り神三輪神のアヤ
  • 弥彦神タカクラシタ~越後 初穂納めず また向かふ
  • 二人の皇子(カンヤヰミミ・カヌカワミミ)の誕生~召せば后に 
  • タカクラシタにオシモメを下賜~汝は神酒に 若やぎつ さかなに賜ふ
  • 世継ぎ問題に巻き込まれたユリ姫~君の御幸は サユ川に 人夜寝ねます
  • タギシミミ皇子の二心~タギシ御子 深く焦がれて 父に乞ふ
  • ユリ姫の拒絶~怪しきトメお 悟る姫 ミサホツズウタ
  • 一件落着~クシミタカ 君に申さく 「シムの恥」 君
  • 天皇の回顧と世継ぎ決定~あなたにゑや~ 得つはうつゆふ 真幸き国
  • 神武天皇崩御~内に入り 長く喪に入り 生き坐すの 如に勤むる
  • 母の歌心~若宮札お 取り見れば いろいろ詠む歌
  • カヌカワミミがタギシミミを討ち皇位へ~我入らは 汝射よとて
  • クシミカタマの殉死~問わず語りお なし侍る
  • 綏靖(すいぜい)天皇の後世~祀る住吉 物主と 中臣併せ 直り神
  • 安寧(あんねい)天皇即位と出生譚~カハネお問えば 男はコモリ
  • 安寧天皇の後世~生む皇子斎名 ヨシヒトの
  • 懿徳(いとく)天皇即位~マカリオ暦 改めて
  • 懿徳天皇の後世~喪は一穂まで 御饗なす(おもてなす)
  • 孝昭天皇即位~かたき掖上 ゐけこころ 都遷して
  • 弥彦神の玄孫一族の繁栄~斎名オシギネ アメタラシ ヒコクニの御子
  • 孝安天皇の後世~ウチキサキ 長橋にいて オシテ守り
ホツマツタヱ御機32:富士と淡海瑞のアヤ
  • 孝霊天皇即位~あまつヒツギお 受け継ぎて
  • 孝霊天皇の后妃と御子~もし一はら三こ 産むものは
  • ハラミ山と淡海の絵合せ~ゐを年前に 焼け失せし 種も再び 生る兆
  • 譲位してハラミ山へ御幸~諸食わんとて 煮て苦し 誰も得食わず
  • 回想の御製歌~裾の八湖 三つ埋まり 焼くれと中峰は 変わらしと
  • フジの山~これよりぞ 名もフジの山
  • 孝霊天皇崩御~ゑワカタケヒコ 吉備かんぢ とワカタケヒコ 吉備しもち
  • 孝元天皇即位~生む御子は 大和アエクニ 大彦ぞ
  • オオミケヌシによる風吹の祈り~田に額づけは 甦り やはり若やぎ
  • 孝元天皇の御子達~娘のイカシコメ 膳出に 召す内きさき
  • 孝元天皇崩御~ヤマトカゲ 娶(めと)り産む子は タケウチぞ
  • 開花天皇の即位とイカシコメ~阿り君お 穴にする
  • 開花天皇の崩御~スケが産む 斎名アリスミ 彦坐(王)
ホツマツタヱ御機33:神崇め疫病み治すアヤ
  • 崇神(すじん)天皇と后妃・皇子女~ミマキイリヒコ 天つ君 三種遣ひも 天ためし
  • 三種神宝を改める~常に祀りて身と神と 際遠からず
  • 疫病と民の離散~わが代に当たり 汚穢あるは 祀り届かぬ 咎(とが)めあり
  • 大物主神のサツサツヅ歌~君な憂ひそ 直せさるは 我が心あり
  • オオタタネコ登用~モノヌシの 大三輪神の はつこなり
  • 美酒~神酒作り 三輪大神に 奉る
  • ミマキイリヒコあはや~教え受けずば 綻ばせ ヲシテ賜り イクサ立ち
ホツマツタヱ御機34:ミマキの御代任那のアヤ
  • タケハニヤスの謀反~香久山埴お ヒレに入れ 祈りて国の 物実と
  • オオヒコ父子の活躍~手柏の イクサまづ勝つ 奈良坂ぞ
  • タケハニヤスの敗死~これ汝 天に逆ふお 討たしむと
  • モモソ姫~諸解く祀りお 箸塚に なせば輝く のりのいち
  • ハツクに治らすミマキの世~民楽しめば 君安く
  • 崇神天皇の皇子女~産む皇子イクメ イリヒコの 斎名ヰソサチ
  • 夢占いによる日嗣決定~汝ら恵み 等しくて 継ぎしる事の 夢すべし
  • ミマナのアヤ
  • ツノガアラシト来日~角ひとつ 有る人ここに 漂えり
  • 来日までの経緯~神の白石 持ち帰り 閨に置く石 成る乙女
  • 新羅との紛争にシホノリヒコを派遣~新羅の国と 仇起こり 任那の遣い
  • 出雲フリネ~出雲は神の 道のもと 八百万フミお 隠し置く
  • フリネの死と三十九個のミカラヌシ(銅鐸)~「出雲祀れ」と みことのり
  • 崇神天皇の崩御~君こと切れて 物言わず 寝ます如し

コラム:『ミカラヌシと39個の銅鐸』

ホツマツタヱ御機35:日槍来る角力のアヤ
  • 垂仁(すいにん)天皇即位~君生まれつき たた直く 心ほつまに 驕りなく
  • アメノヒボコ伝説~曰く「新羅の 君の嫡子(ちゃくし)(略)やつかれは 聖の君に 服いぬ」
  • サホヒコの謀略~汝色もて 仕ゆれと 色衰いて 恵み去る
  • 皇后サホ姫の逡巡~告げざる時は 傾けん 畏れかなしみ 血の涙
  • サホヒコ反乱の終息~兄が罪 逃れんために 我入れど 共に罪有る
  • 相撲の発祥と野見宿禰(のみのすくね)~継なしの身は 弓取りぞこれ

コラム:『かぐや姫伝説』

ホツマツタヱ御機36:ヤマト姫鎮むアヤ
  • ヤマト姫誕生譚(はなし)とその後~独り返せば 恥づかしく 輿(こし)より罷(まか)る
  • 鳥取部~髭生ひ騒ぐち もの言わす これ何故ぞ
  • アマテル大御神とトヨケ大神への祭祀(さいし)~トヨスキは放ちて付ける ヤマト姫
  • 御杖代(みつえしろ)トヨスキイリ姫~この橋立は 笠縫いの 上より宮津の 松に雲
  • 御杖代の役はヤマト姫へ~トヨスキ齢 百三で 御杖ならすと 見習わせ
  • 道を顕わしたサルタヒコ~神宝 天津日嗣の サカホコギ 美しき鈴
  • 伊勢神宮への御鎮座とミタケ柱~昔我が住む サコクシロ しき波寄する
  • 内宮・外宮と鰹木~千木の内 削ぐは内宮 内軽く 八民豊かに
ホツマツタヱ御機37:鶏合わせ橘のアヤ
  • 垂仁天皇の制度改革~古ノリも 良からぬ道は 止むべしぞ
  • 皇后ヒハズ姫の崩御と埴輪の発祥~先の追ひ枯れ 良からねば
  • オオクニサラズの嘆願と神歌~御祖の神に ニギテ為し たてまつるワカ
  • 垂仁天皇の上下賀茂社行幸~賀茂と伊勢とは 御祖なり
  • カマハダトベとカリハタトベの入内~大亀お 突けは成る石 これ=iしるし)
  • 御祖の神に ニギテ為し たてまつるワカ
  • 垂仁天皇の上下賀茂社行幸~賀茂と伊勢とは 御祖なり
  • カマハダトベとカリハタトベの入内~大亀お 突けは成る石 これ=iしるし)
  • ヤマトオシロワケの立太子と兄皇子の協力~千ツルギ移す 石上
  • 貉(むじな)の腹からヤサカニの玉~ムジナの腹に 八咫瓊(やさかに)の 珠あり納む 石上
  • アメノヒボコの宝物~その宝 あに離れさる たぐいかと
  • 消えたイヅシ小刀~君畏みて また問わず
  • 垂仁天皇崩御とタジマモリ~我が思ふ クニトコタチの 御代の花
  • タジマモリの妻子とモトヒコの処遇~昔の人の 緖お留む ヲトタチハナと

コラム:『オオタタネコと謎の兄妹神』

ホツマツタヱ御機38:日代の代熊襲討つアヤ
  • 景行天皇即位とオオウス・コウスの誕生~餅花なして 双子産む
  • ヤサカイリ姫の入内とワカタリヒコ誕生~やつかれは 嫁ぎ好まず
  • タケウチとワカタリヒコ~斎名タカヨシ 名はウチと タケウチマロぞ
  • その他景行天皇の皇子女~男は五十五 女は二十六総へ
  • 筑紫遠征へ~ザガイキタツ 恙(つつが)かや
  • 五土蜘蛛討伐~両羽の社 サラに建て これ祀らしむ 返詣で
  • 熊襲の娘フカヤの父殺し~重き引き手に 召し入れて 隙お窺(うかが)ひ 虜にす
  • 別雷神に加えられた尊称加茂の訳~カは上お 遍く照らす
  • 景行天皇の御歌~雲はヤマトの 国のマホ
  • 八代へ~人の火ならず 不知火の 国と名付くる
  • 阿蘇邦の守護神~「誰ぞ」応えて 「国つ神 社破れリ」
  • 巨大な倒木~百々踏みて 行き来に 歌ふ
  • 還幸~ヰハもこれ かかる目出度き ためしなり
  • 新斎宮クスコ~クスコお神の 御杖代 タケの宮居に 謹みて
  • ホツマシルベと神祈り粥~国領るの 道はいにしえ 根の国の
  • タケウチの帰朝報告~女男の子髪お アゲマキに 身お綾どりて 勇み立つ
  • 熊襲の再謀反にコウス皇子派遣~ヤツコが捧ぐ名お召すや

コラム:『ヤマトタケとタケウチ』

ホツマツタヱ御機39:ホツマ討ちツヅ歌のアヤ
  • 蝦夷の騒乱とヤマトタケの立場~ホゾマのヱミシ 掠(かす)めると
  • ヤマトタケへの実質譲位~稜威に伏せ 恵みに懐(なづ)け ホヅマ為し
  • ヤマト姫からヒミツの祓いと群雲の剣~謹み受けて 仇平けよ な怠りそと
  • 相模小野の協力者モトヒコ~結ぶしつくの 源お 思してホヅマ
  • 草薙の剣に改名~向かい火に 日水土の祓い 三度宣る
  • 小野城を火攻めから救出~太刀おハラミの 御柱と 祈る火水土の 清祓ひ
  • 大磯からの船でオトタチバナ姫の入水~我君の為 龍となり 船守らんと
  • 上総上陸から勿来(なこそ)まで~榊枝に 鏡お掛けて 向かひます
  • シマヅミチヒコは自ら服従、ミチノク他は拒否~いさわに懼(おそ)れ 弓矢捨て
  • 大伴タケヒとミチノクの論戦~日の神ここに 道学ぶ 故ヒタカミぞ
  • 理路を通す大伴タケヒ~その罪積り 幾らぞや 抜け道ありや
  • 蝦夷平定と貢物~オオトモの さふらい四人 負い代はり
  • 火灯しヨスナ~応えて「神の 御代はウタ 今はチカラよ」
  • 論功行賞への不満~奴らハナフリ ソロリには タケタ賜る 何の殊(ことに)
  • ツヅ歌~織り合わせ目に ケリもあり 君と我とは つつきケリ
  • ツヅ歌(後の連歌)の歌論と形式~オモテ四連ね マメ操 両方に通はず
  • ツヅ歌の奥義~ウタはクニ チカラはアタヒ 賜りし
  • タマガワ鐙(あぶみ)~姫のため ツカリアビキの 祀りなす
  • ヤマトタケはソサノヲの生まれ変わり~オホ宮お 建てて祀らす 氷川神
  • 木曽路での苦難~山高く 谷かすかにて つづら折り
ホツマツタヱ御機40:熱田神世を辞むのアヤ
  • ミヤヅ姫の実家にて~サカオリの 宮は昔の ハラの宮
  • 伊吹神の怒りに触れる~剣解き置き 軽んじて 至る神路に
  • オゾの一つ松~置き忘れしが 永らえり 故に上げウタ
  • 父帝への書状~今ここに 帰らば命 夕つく日
  • 熱田宣り~湯浴み衣お替え 南に向かい ひとみ辞(いな)むの ウタはこれぞと
  • 父帝の嘆き~スヘラギは 居も易からず 味あらず
  • シライトリ~東西も皆 治せば罷(まか)れる 天ノリぞ
  • 在りし日のヤマトタケ~乙女姿と なり入りて 肌の剣で 胸お刺す
  • ミヤゾ姫との別れ~旅宿に合える 客人と 迷ひ遺(のこ)さぬ 癒(い)やしウタ
  • 宮(後の熱田神宮)の落成と神送り~猿田彦神 御顔あて
  • チリヒル飯~ミヤヅ姫 鑽(き)り火の粥お 盛る平べ(皿)
  • 五人の蝦夷~ヱミシらは 人心なく 置き難し ままに分け置く
  • ワカタリヒコの立太子~タケウチスクネ ムネの臣 御子と竹内 同ひ歳
  • 熱田法による神送り継承~御柱は 内宮の臣 神輿前 御子は神諸末(かみおすえ)
  • コウスの故地巡幸を決意~かえり思えば 止む日なし
  • 出雲に鎮まるコウスの先魂ソサノヲ~熱さ治す 父親の恵み 倦(う)まざるや
  • 熱田神~神は人 ひと素直にて ホゾマ行く まこと神なり
  • 相模から上総へ~君も涙に トラガシハ さかき御姿 奉る
  • イワカ・ムツカリ~なますに為して 奨むれば 膳伴部(かしはともへ)と 名を賜ふ
  • 鹿島神楽を最後に還幸~神楽獅子(略)サルタの神の 名にし負ふ
  • ホツマツタヱ上程~御代のフミ 編みて神代の ホズマ路と

ホツマツタヱを述ぶ

おわりに

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ホツマツタヱとは

ホツマツタヱは、第六代大物主クシミカタマ命が子孫のために書き留めていたものを、その子孫「大田田根子命」が景行天皇の時代、日本武尊が東征の帰途三重県能褒野で病気で倒れられたのを悼んで、その後の歴史を書き加えて天皇に奉呈したものです。


私が思うところでは、ホツマツタヱは「白村江の戦い」に敗れてから禁書になり隠されてしまったと思っています。それを三輪氏の系統の人が書き継ぎ後世のために残したものと思われます。

現在発見されている一番古い写本は、江戸時代末期の和仁仔安聡(わにこやすとし:三輪氏78代子孫)氏の写本です。

太平洋戦争の後マッカーサーが、日本人が自信を持つような書物を禁書にして葬り去った(文字もローマ字に変えようとした)と同じようなものですね。

ちょっと調べてみますと、蘇我氏と聖徳太子が物部氏を倒して権力を奪ってから白村江の戦いに敗れるまでの年数と、明治維新から太平洋戦争に敗れるまでの期間が非常に近いですね。たぶん同じような状態だったんでしょう。

ホツマツタヱ・私の感想

「はじめてのホツマツタヱ 人の巻」を読むと神武東征のことや、日本武尊命(ヤマトタケ)の事がよくわかります。

宮崎県の高千穂に神様が下ったということも違うと言う事が分かってしまいます。

昔は日高見(東北地方)が栄えていて、神(天皇)の出身地は根の国(北陸地方)で有ることがわかりますね。

「はじめてのホツマツタヱ 人の巻」は、神武天皇から日本武尊命までのことが書かれていす。

その間の欠史八代と言われる天皇のことも詳しく書かれています。だから、決して欠史八代では無いということですね。

日本の神話を知るには「ホツマツタヱ」を知らないと、正しくわからないと思いました。

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ホツマツタヱの書籍

・はじめてのホツマツタヱ 天(あ)の巻

・はじめてのホツマツタヱ 地(わ)の巻

・はじめてのホツマツタヱ 人(や)の巻

・秀真伝にみる神代の真実 古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想