和歌の道うをたてたワカ姫のカミ
和歌はワカ姫の神によって確立されました。ワカ姫にちなんで「ワカの歌」と懐けられましたが単純化して「ワカ」と呼ばれるように成り、漢字伝来以後は「和歌」の漢字が当てられるようになりました。
ワカ姫とは、イザナギノミコトとイザナミノミコトの第一子です。
イナゴを祓う呪(まじない)い歌
タネハタネ ウムスキサカメ
マメスメラノ ゾロハモハメソ
ムシモミナシム
これは穂虫を祓うワカのまじない歌です。
この歌を360回、声を合わせて歌わせた所、穂虫は西の海へ飛び去って生きました。
そして、稲は生気を取り戻し若々しく蘇りました。
このワカ姫のワカの歌にちなんで国の名も「ワカの国」へと改められました。
後の、和歌山県です。
モモヒナキ、モモヒナミ夫婦天神
4代目天神になる君の位を付いだウビニチは、后のスビニチを宮に入れて、「政」をともに執り行うようになりました。
スビニチは女性として初めてウチミヤ(中宮)に入って「政」の場に参加し、夫婦で天神の座に就いたのです。
この、夫婦神の生い立ちをたどると、二人は越邦のヒナル岳(福井県武生市日野山麓)の神宮で一緒に育てられたのです。
二人は将来を誓いあって庭に木の実を飢えました。三年後の3月3日に多くの花が咲き、多くの実を結びました。
花も実も百(もも)を数えたその木は桃の花と名付けられました。
このことから、幼い二人はモモヒナギ(桃雛木尊)にモモヒナミ(桃雛実尊)と呼ばれるようになったのです。(ひな祭りの元)
両神はハラミ山で千日の祈祷
両神(イザナギノミコトとイザナミノミコト)は世継ぎ子の誕生を願って、富士の湧水で左目を洗っては日の御霊に祈り、右の目を洗って月の精に祈りました。
左右両手に持ったマス鏡を日霊と月精に見立て、人として顕現することを願って、首を巡らすたびに降臨を祈りました。
天照大神がお生まれになったその姿は球形の卵でした。
幼名ウヒルギ
「コヱネ邦(根の国・北陸地方)にお住まいだった伯母シラヤマ姫(白山姫)は、アマテル大御神の誕生を祝ってご自分で織り上げた御衣を奉った時、泣く皇子の声をお聞きになって「あな嬉し」と聞き取りました。このことから諸臣は「皇子はどのようなお名をお望みかお聞きください」と頼み、シラヤマ姫からお聞きした所「ウヒルギ」と皇子自ら応えられました。諸臣にはただの鳴き声としか聞こえない皇子の声を、しっかり聞き切ったシラヤマ姫は、次のように説明しました。
「<ウ>は大いなること。<ヒ>は火の輪。<ル>は日の霊魂を意味し、<ギ>はキネと同じく男子の名の最後に付ける音です。」
こうして皇子(天照大御神)の幼名はウヒルギと決まりました。
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ホツマツタヱとは、日本の神話時代がわかるホツマ文字で書かれた歴史書
こんな素晴らしい書物が
かつて日本にあっただろうか
こんな素晴らしい書物が
かつて世界にあっただろうか
日本人の魂を
こんなにまで歌い上げた書物が
かつてこの世にあっただろうか
こんなにまで心を清める書物が
日本にこれまで
あっただろうか
五・七のリズムは
天の節
日本人の心を
おのずと歌いあげる一万行
これはホツマツタヱを発見した松本善之助さんの「(続)ホツマツタエ」の出だしです。
ホツマツタヱと言う神話の書物は、昭和41年に松本善之助さんによって発見されました。
ホツマツタエは、ホツマ文字という古代文字で書かれた書物なので、普通の人は原文では読めません。私も読めません。
だから、現代文に直した解説本が必要です。
はじめに
本書の構成と編集方針
コラム:ホツマツタヱ古文書の再発見
コラム:ホツマツタヱが書かれたヲシテ文字とは
コラム:ホツマヱトとホツマ暦
コラム:フトマニ
コラム:ホツマツタヱの時代の日本
コラム:天七代系図
コラム:イザナギ・イザナミの系譜
コラム:トヨケ大神の系譜
コラム:アマテル大御神の妻と子
おわりに
神名一覧
目次 終わり
ホツマツタヱは、第六代大物主クシミカタマ命が子孫のために書き留めていたものを、その子孫「大田田根子命」が景行天皇の時代、日本武尊が東征の帰途三重県能褒野で病気で倒れられたのを悼んで、その後の歴史を書き加えて天皇に奉呈したものです。
私が思うところでは、ホツマツタヱは「白村江の戦い」に敗れてから禁書になり隠されてしまったと思っています。それを三輪氏の系統の人が書き継ぎ後世のために残したものと思われます。
現在発見されている一番古い写本は、江戸時代末期の和仁仔安聡(わにこやすとし:三輪氏78代子孫)氏の写本です。
太平洋戦争の後マッカーサーが、日本人が自信を持つような書物を禁書にして葬り去った(文字もローマ字に変えようとした)と同じようなものですね。
ちょっと調べてみますと、蘇我氏と聖徳太子が物部氏を倒して権力を奪ってから白村江の戦いに敗れるまでの年数と、明治維新から太平洋戦争に敗れるまでの期間が非常に近いですね。たぶん同じような状態だったんでしょう。
「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」は、宇宙の創生から天照大御神まで書かれていて、言葉の意味や和歌の成り立ち、トの教えなど、神代から伝えられてきた神道の教えが書かれています。
神道にはなんの教えもなかった!
と言われてきましたが、実際にはより良い生活を送るための教えが沢山あったことがわかります。
日本人がすらない間に、自然と行っている生活習慣にも、昔の教えが反映されている事がたくさんあることを知りました。
「ひな祭り」は、第4代天神のモモヒナキとモモヒナミの結婚式の祝だったんですね。
そして一夫一婦制がここから始まり、天照大御神から一夫多妻制になったんですね。
いろいろな儀式が大陸からモタラされたように言われていますが、それは嘘だということがよくわかります。
・秀真伝にみる神代の真実 古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想